不世出の名人と呼ばれながら昭和56年(1981)に42歳という若さで他界された河内音頭名人「二代目 三音家浅丸」師匠。
太鼓、三味線、エレキギター、という現在のスタンダードな演奏スタイルを確立し、
卓越した音楽感覚とリズムの開拓で河内音頭界をリードしつづける。
初代、三音家浅丸が、戦前 大阪府松原市三宅に開設する。
「当時音頭会は平野区に初音会、井筒会、日乃出会の4つ」音頭を本格的に取り組み戦後には地元で20名程の弟子と音頭に歌や浪曲などを加え三音節の原形ができ弟子の中で初代小浅丸・浅王丸がトンボ、トリオとして活躍
当時 3小丸「三音家小浅丸・井筒家小石丸・日乃出家小源丸」 そして小浅丸が昭和51年二代目浅丸を襲名する。
時代のニーズに対応した音頭取として注目されテレビ・ラジオ番組に出演、ラジオ大阪のふるさとの歌めぐりにレギュラー出演する。
代表作は、作詞 もず唱平作で 「馬喰一代・河内の暴れ太鼓」原作今 東光「悪 名」などがあるが 42歳でこの世を去る
三音会はかつ恵を 家元とし 兄弟弟子の浅王丸を三代目 会長 亡き二代目の夢 東京ライブなどに出演
現在四代目会長 二代目小浅丸が、河内音頭、創作太鼓を基に地元の櫓をはじめ地方公演に力をいれる。